いじけていた夜に作れた美味しいラッシーと、心晴れやかな昼下がりに成功した美味しいシャーベット。
気づけば7月中旬だなんてなんてこった。さっきTOKYO FMスカイロケットカンパニーで、そろそろ梅雨明けじゃない?ってマンボウやしろさんが言っていて思わずカレンダーを見た。本当だ、そろそろジメジメが終わる頃だった。
6月からの心は怒涛で、いつか長い時を経てこの時期を思い出したら記憶が一欠片も残ってなさそう。
手放したり向き合ったり諦めたり整えたり塞ぎ込んだり赦したり忙しない。今あたしは、部屋の大掃除をするみたいにドンガラガッシャンと生活を変えてみたいのかもしれない。
騒々しい真夏の分子が飛び交うまでに、あと少し。
半日、ユニコーンの「すばらしい日々」を聴いて過ごした。何年かに一度こうなる。飽きるまで(飽きはしない)この曲を永遠聴いてしまうんだな。メロディが明るいのにセクシーだし。かなしいし。カラオケで誰かに歌ってもらいたいのに。
君は僕を忘れるから
そうすればもう
すぐに君に会いに行ける
で、「すばらしい日々」と関係ない話。
今朝は、小説家の友人からのLINE通知音で目を覚ました。彼は、とんでもなく忙しい。寝る間がない。本当に多分無い。毎回ギリギリなメッセージが唐突に届く。変な時間に届く。精神崩壊寸前みたいな、寸前てゆーか崩壊中みたいな、何て返信するのが正解なのか分からないギリギリのワードを送ってくる。あたしはいつも「今宵は寝れるの?」とか「温泉に逃げようよ」とか「野菜食べて」とか、そんな事しか返せない。
でも今日のLINEは違った。「もうすぐ新しい本が出来るから読んでほしい」って内容だった。
こないだ仲良い元編集者の友人が、「良い文章って開いた瞬間に、読まなくても見ただけで分かるものなんだよね」って言っててハッとしたんだけど、なんてゆーか、この意味とは全然違うけど、
LINEやmailでやさしい言葉が書いてある時と、冷たい言葉が書いてある時と、それってやはり読まずに見ただけで分かるよね。感情の温度って、見えてしまうものだよね。気持ちって、活字でさえバレる。
今朝の小説家の友人からのLINEに記されてた言葉たちは、静かで、あたたかくてやさしいものだった。忙しいだろうけど、健やかなのかもしれない。いや、健やかではないかもしれないけど、健やかな気持ちで言葉を打ってくれたのかもしれない。ひとまずいつもよりは元気なのかなって。そうだと良いなって。
とにかくあたしは朝からあたたかいものを浴びて、そのおかげで今日もどうにかこうにか、何とかやり切ることができたのでした。寝る前に「ありがとう」って彼にLINE送ろうと思う。意味わかんないだろうけど、送ろうと思う。顔だけ洗って、パジャマに着替えて。
で、「すばらしい日々」を聴きながらで。
おやすみなさい。
数日前、大切な人の大切な人が空へ飛んでいってしまったことを知った。もう10ヶ月も前のことだった。あたしにとっても大切な友人だった。言葉を選ばないで笑い合える数少ない存在だった。
彼のユーモアと奏でるリズムが好きだった。純粋な瞳で豪快に笑う姿にいつもホッとした。「なぁ!」と包み込む相槌はいつだって再生できる。
悔やんでも悔やみきれないことが増えてゆきます。適さない言葉だけれど、生きてるなぁと実感してしまう。こんな経験が増えてゆく度に。歳を重ねている事を思い知る。
もう会えないだなんて、そんなの。そんなのは、いつまで経っても慣れなくて良いんだよ。
「哀しみは私だけのもの」と大好きなシンガーが歌ってた。
ゆり子と中目を散歩。最近そんなことばかりしてる気がする。
スウェット可愛く着こなしてくれてありがとう。途中の雨降りも楽しかったよ。
朝つけたテレビ番組のアナウンスでゴールデンウィークに入った事を知ったけど、積極的に出掛けられないから何しよう。雨上がりの虹を期待したのに見つからなかったね。
ゆり子の作った夕ご飯食べて、そしたら今度は豪雨で雷だったから自転車置いて来た。明日取りに行くからまた会える。ゆり子の笑顔が大好きです。
まだ21時過ぎだと言うのになんて悲しい。
「全然たのしくないゴールデンウィークになりますよ」とか、そんな冷たい温度の言葉をどうして口から出せるのか。
近所を妹と散歩して、まるで地方のシャッター街みたいになっている商店街に「あー」と声が漏れた。
せめて閉店作業している間だけでもと、店先にお惣菜並べ続けている飲食店の前で妹は足を止めて「明日の朝ごはんにしようよ」と、サバの塩焼きを買って帰った。
真夜中まで、時々朝方まで、大好きな人達と行きつけのお店で飲み明かしたい。「最近、健康的になったんだよねー」とか、別に要らない。
健康守るの大前提での発言ですから。従姉妹の看護師ナナちゃんの事、いつも思っているから。
たくさんのご注文ありがとうございます。
撮影の日の夜は、今よりもっと寒くて、えっちらこっちら衣装や花やメイク道具をみんなで運んで、ひっそりワイワイ楽しかった。
カメラマン爾示さん有難う。ヘアメイクくどうさん有難う。モデルのカレンちゃん有難う。お花メグシ有難う。グラフィック山崎氏有難う。マネージャー、いつも有難う。
一人じゃ何にも出来ないです。
変な夕ご飯を食べてしまった。
温めた鯖缶に海苔、アボカドと梅干し、炊き立てオートミール(かれこれ一年以上ハマっている)、デサートにダークチョコレート。
ひとりの夕ご飯は、時々とんでもない手抜きと組み合わせで、いつも食べ終わる頃それ気づく。今夜も驚いた。
想像力に欠ける夜です。
写真は昨日メグシと撮り合ったアスファルトの八重桜。変な日記だから、せめて可愛い写真。
雨がつづいて安心している。去年の自粛期間中に増えてしまったベランダの植物たちの水やりを雨に任せられるから。どんどん足されてゆく(自分で足している)植物を眺めながら、こんなに増やしたら今後長期間部屋を空けられなくなるんじゃないかと不安になる。でも、朝カーテン開けて生い茂っている緑見るとほっとするからまぁいいんだ。
東京出て来て気づいた最初のストレスは、窓の外に緑が生い茂っていないことだった。樹の幹が水分吸った後に放つ渋めの瑞々しい匂いとか葉っぱの青い匂いとか土の甘い匂いとか。道路の匂いだけでは味気ないし季節に置いてけぼりになっちゃうよ。それにむくむく育つ植物眺めるのは気分が良いじゃない。
リビング窓の外には、大きな樹がある。この部屋に決めた理由の一つなんだけど、大家さんがそれはそれはマメに剪定をするのです。ある朝起きると丸裸になってることしばしばで、木漏れ日失ったリビングは朝日に照らされ目が開けられないほどに眩しくなってしまう。
部屋は全部真っ白レースのカーテン。徹夜とか朝帰り後の眠りにかなり厳しめな明るさを提供してくるけど、それもまぁ、もういいんだ。
憧れるのは、映画「スワロウテイル」グリコの部屋の赤いレースのカーテンと、映画「the Future」ソフィーとジェイソンの部屋の黒いレースのカーテンです。未だ出逢えず。
明日は晴れますかね。
自分で身に着ける以外の何かに、いつか使えたら良いなコレクションが目の前に散らばっています。
大切な撮影のための準備をしている。
服が好き。生き甲斐のように重ために好き。いつだったか、大好きなフジ子・ヘミングさんが murmur magazine のインタビューで語っていた、"ーでは、きらいなファッションは?"の問いの答えが絶対に忘れたくないのでここに記しておきます。
「安っぽい服。その人の教養のあるなしは、服装を見ればわかる。顔なんて、気にしなくていいの。教養のある人は何を着ていても、自分らしくすてきに着こなすのよ。」
どんな風に撮ったって、桜はいつも綺麗です。
メグシ(それはeden worksの篠崎恵美)と打ち合わせして車で次の打ち合わせ場所まで送ってもらった。敢えて川沿いに降ろしてもらったら、中目がとんでもなく美しくなっていた。
去年もだけど、人がそこまで居ない桜だらけの川沿いは、騒々しくなくて懐かしい美しさ。
高校卒業した後に入ったデザイン研究所の校舎は中目黒で、かれこれかなり昔の記憶になってきてしまいましたが。
一番馴染みのある街。あの時のこの季節は、決して下品なお祭り騒ぎじゃなかった。
最近は、街も街を訪れる人も急速にガシャガシャ変化してしまうから、ちょっとくらいスローにいさせてと思ってしまう。どうしてこのままじゃ駄目なのですか?と思う。飽きっぽくて変化を好む自分だけれど、ジッと変わらぬ何かがいつも欲しいのです。
「電車の扉のところに立っている女子高生が可愛かった。耳にイヤホン突っ込んで、唇はムスッと。でも窓の外に向けられた瞳は哀しそう。それになんて気立てが良さそうな鞄の持ち方。アンバランス」
随分昔のiPhoneのメモ眺めてたら見つけた。
電車ろくに乗らなくなってしまった。人混み苦手だけど嫌いじゃない。普段会えない、それに二度と遭遇さえしないであろう他人を眺めるのって楽しい。
あたしは同じ時間に家を出て出社してみたいなことが無い生活をしているから、会いたい人にしか会っていないから、まぁ今となってはそんな人が鱈腹いるのだろうけど、それはそれで自分に向いていることだと思っているんだけど、時々ちょっとだけ寂しくてつまらないよ。
姪のベビーシッターdayでした。姪は三歳半。時たま二人きりの時間を楽しんでいる。
今宵は、真っ新なパズルに二人で絵を描いて過ごした。ランダムに選ばれる色と自由な筆づかいの仕業で大層難解なパズルに仕上がってしまった。完成後、逆さまにばら撒いて再生を試みたけれど完成しなかったね。明日自分一人で頑張って頂戴ね。
再生とは。
自由とは。自由って何だ!?
昨年末に販売開始したハーゲンダッツのストロベリーも、期間限定の季節がそろそろ終盤です。冷凍庫にはまだ5つある、取っておこう。
最近のあたしはと言うと6日前から本格的な花粉症女として人生の再スタート切った次第。春を気楽に全身で受け止めていたあたし、さようなら。今まで気にも留めずに流し見していたSNS上の花粉症対策情報が悔やまれて悔やまれてかなしい。記憶を頼りに手繰り寄せている。
さっき桐生のラジオに親友が出演していた。彼女はパン屋さん。今、群馬の山奥で大きな土地に佇む小屋と母屋と森を夫と共に開拓している。一昨年からパン屋に一区切りつけ活動休止していたのだけれど、この度またジワジワこつこつ動き始めた。動き始めたというか、正しくはずっと動き続けている。
一年以上会えていない彼女の声は、相変わらずトロっとホワンと可愛いのに、そこには力強い芯が潜んでいた。天然酵母のパンを薪窯で焼き上げるの目指して、今日も土方のカッチョいい兄ちゃんのごとく生活の場を自ら開拓してるに違いない。
あたしが敢えてこの場所東京に身を置く理由は何なのだろう。断言できる答えは出てこないけれど、あたしは東京の夜景が好きなんだ。
唐突に日記を書こうと思い立ちました。
最近友達と長電話します。中高生の頃に戻ったみたいな長電話。あの頃両親によく怒られた。注意されてもやめられないから子機を隠されたこともあった。こないだマネージャーと事務所の電話機が欲しくて電気屋さんに行って、そう言えば子機ってまだあるの?てなったけどちゃんとあったよ子機。需要がまだあるんだね、何故かほっとした。
友達は群馬に住んでいて、いつもならそうだな、二ヶ月にいっぺんくらいは会えていたのに今なかなか会えないから。本来なら会うたび近況報告を息継ぎ忘れるほどのスピードとエネルギーでお喋りし合うんだけど、それが今電話になった。
最近離婚を経験して一人暮らしはじめた彼女は、言うまでもなく目まぐるしい環境と心境の変化の真っ只中にいて、二日前の彼女はその時もういない。毎日毎日繰り返される彼女の脱皮をあたしは電話越しに感じてる。刺繍作家で洋服のデザイナーでもある彼女との会話は、創作のことからはじまり、恋愛や日々の生活や、とにかく十代の女子みたいにあたし達はエネルギッシュで、いつも話終わると体重が減っているのです。
LINEやmailの方が相手の(自分も)時間を奪わないし要件が明確だしで、良いとこ沢山あるのは十分わかっているんだけど、あたしは人の声が聞きたいし本当は会って話がしたい。温度が足りない。いつも温度が足りないんだ。
blogが流行って日記が溢れ、twitterになって140文字の呟きになり、instagramで文字は画像に変化して、今は娯楽な動画になって。いつからかあたしは言葉をちっとも綴らなくなってしまった。端的な、無駄のない言葉で何かを語るようになっちゃって、そんなつもりは無かったのに、なんだか脳みその中のどこかの回路がショートカットされた気分。ふくよかではない。
だからここでは、馬鹿みたいに無駄なことをタラタラ気ままに書いていこうと思います。全然誰も見なくていい。
友達との長電話のように、思ったことを削ぎ落とさないでまとまりなくで。そんな感じで過ごしてゆきたい。